くま・けんご (建築家 東京大学教授)
1954年生まれ。ポストモダン建築の代表作『M2』でデビュー。『森舞台/登米町伝統芸能伝承館』で日本建築学会賞を受賞し、現代建築にあらたな地平を拓き続けている。
なかたに・まさと (建築ジャーナリスト 千葉大学客員教授)
1948年生まれ。「新建築」編集長を経てフリーの建築ジャーナリスト
窓っていうのはね…たいていの人はオブジェとか塔として建築を定義するんだけど、僕は建築を基本的には「穴」だと捉えているんですよ。自分の身体がその穴の中に守られていて、その穴を通じて外の世界につながっていくものだって思っているわけ。 そういう意味での穴を一番手っ取り早くつくるのが、窓なんですよ。
窓を通じて、僕の身体は外の環境につながることができる。
インテリアとか外壁は窓が拡張したものなんだ。そう捉えた方が自然じゃないかと思うんだよね。
そうそう。僕は閉じた空間には自分自身が耐えられない。外の風が吹いて雨が降って光が射して、という空間に自分の身体が開かれていないといやなんです。
だから、建築は必ず外に開かれている。それは窓という「外につながっているもの」が変形してできたものだからだ。直感的にそう感じていますね。
全然、型式じゃない。型式っていうと頭でっかち。でも僕の考える穴っていうのは、もっと身体的なものだからさ。さーっと広げていくような。
穴的なものを求めるみたいなのって、たぶん人間という存在以前、たとえば動物的な存在であっても、既に穴を求めていると思うわけ。そういう意味で、窓というのは動物的な部分に一番近い建築的要素なんだね、きっと 。
あれ、穴なんだよ、まさに。
うん。自分の身体をどう定義するかっていうと「穴を通じて外の世界につながっている」って感じがある。『水/ガラス』なんかは、穴がトポロジカルに変化していって、ああいう形態に至っているわけでね。
そうそう。この窓は単にくりぬかれたものではなく奥行き、デプスがあるっていう感じかなあ。それは床とか天井も含めた空間のデプス。
設計のとき、ガラスがはまった壁の小口のことを「窓の抱き」っていうんだけど、これを深くするとか浅くするとかでいつも議論している。
なんで「抱き」って言うかというと「身体を抱く」からきていて、そういうもので身体を抱きかかえてもらってる気がするんだよ。
抱きっていうのは、実はそこだけじゃなくて、ぐわーっと中に入り込んだ部屋の中までが抱きなんだよね。
だから、表面上はものすごく薄い板にガラスがはまってて抱きが少ないように見える場合があっても、中まで含めて身体を抱きかかえてくれるもの、という風に捉えています。
そうなんだよね。
外界と自分が溶けている感じ。穴がうまくデザインできた時は、何か「溶けた感じ」が手に入る。それは非常に触覚的。
だから僕はエレベーション(立面図)というのはまったく信じていないわけ(笑)エレベーションが窓を決定しているというのは、一番大きな間違いだね。
エレベーションに窓を置くと、結局は二次元的なプロポーションだけで捉えるわけじゃない? でも窓は三次元的なところこそが大事なんだからさ。