Designer’s Voice 建築設計者の声

闇を穿ち、自分と表をつなぐ

やまもと・ひであき(DEN住宅研究所主宰)
1944年生まれ。武蔵野美術大学卒業後、RIA建築総合研究所、山洋木材を経て1977年DEN住宅研究室設立、87年DEN住宅研究所に改称。住宅を中心に美術館など公共建築も手がける。通常の設計のほか、クオリティとコストパフォーマンスのバランスを考慮した設計メニューである「JEANSHOUSEシリーズ」やハウスメーカーとのオリジナル協働形態「eiMei+」など、深く豊かな設計キャリアを生かした住宅づくりには定評がある。主な作品に「まぶね教会」(1999)「ところミュージアム大三島」(2003)「野比の家」(2007)「軽井沢の山荘」(2008)など。

なかたに・まさと (建築ジャーナリスト 千葉大学客員教授)
1948年生まれ。「新建築」編集長を経てフリーの建築ジャーナリスト


理想は「農家の下地窓」

向かって左側:中谷正人氏 右側:山本英明氏
旧広瀬家住宅。17世紀末に山梨県塩山に建てられた甲州民家で、切妻屋根と低い軒、壁の多さが特徴。(写真提供/山本英明)
広瀬家の囲炉裏端。下地窓の外光が手元を照らす。(写真提供/山本英明)
木舞を通して射し込む光が美しい、西側妻壁の窓。(写真提供/山本英明)

――もう30年以上も前、初めて山本さんのご自宅にお邪魔しましたね。家の形はできていたものの、台所は垂木でつくった枠に鋳物のコンロが剥き出し、浴室はモルタルの床に大理石の板が立てかけてありました。

そこで感じたのは、この人の設計方法は形式的ではなく、一般的な建築家とまったく違ったアプローチ方法だ、ということ。そんな山本さんに聞いてみたかったんです。あなたの記憶に残る窓とはどのようなものでしょう?

僕の窓の原点はね、民家なんですよ。特に農家。(笑)その中でも一番好きなのは、川崎の民家園に移されている広瀬家。これはもう僕の理想ね。

茅葺き屋根で軒高は低くて、僕らが入る時も頭がぶつかるくらい深く覆われている。なんといってもこの家にある下地窓がいい。建物の軸組みをつくり上げてから壁を塗るでしょ。そのときにこの辺に光が欲しいなって思ったら、下地の木舞を見せるようにしてそこを刳り抜く。この広瀬家は、ほんとに欲しいところに下地窓があるんですよ。

囲炉裏の近くの壁には手元を照らすために小さな下地窓が開けられている。これはスポットライトというか、ほとんど照明システムだよね。そして台所にあたる部分にも窓が開けられているし、小屋裏の養蚕室にも小さな窓がある。

こうやってみると、全部それなりの意味があるんですね。しかも薄暗いところに光が射し込んでくるので、壁に影が出るところがいい。「ここに光あれ」っていう感じ。(笑)

それができるのは、住まい手自身が家のなんたるかを理解しながら自分のものにしているから。そういう素朴さって、すごく大事なことだと思うんです。
西側の妻壁に開けられた窓なんか、実は絶妙なのね。太陽の高さをある程度意識しながら決めているとしか思えない。それに、なんとなく自分の身を守りながら表の様子を見る。そういう絶妙な高さに設けられている(笑)。

――そのような窓に惹かれるのはどうしてでしょう?

やはり陰影でしょうね。僕自身が心地よいと思う場所は、陰影が豊かなんです。直射日光が入る明るさから、本当に細い小さな窓から入ってくる幽かな光。そういうものが家全体の陰影を構成してますよね。
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』じゃないけど、陰影を大切にしたのは日本の建築観の特徴だったことは間違いない。そこには機能とは別の意味があったと思うの。

もちろん、ヨーロッパも陰影を大事にしてきたんだけど、20世紀初頭のモダニストたちはアバンギャルドだったから、それまであったものをすべて壊してしまった。


それは、生活文化の厚みみたいなものにかかわってくる気がするんです。誰しも伝統的な農家に入ると強く惹かれるものがあるし、京都の町家にいっても気持ちいい、落ち着くっていう感覚を持つ。だけど、今の僕らの日常的な生活とそれが結びつかないところに、問題があると思うんです。


かつて、家は身体的だった

かつて家は、自分の身体とつながっていたんです。広瀬家の窓に意味がある、というのはむしろ窓と住まい手の身体とがつながっている、ということかな。かつての家づくりは、大工という専門職に頼むのではなく、自分も参加していた。いわゆる「結」ですね。


一緒に家をつくる過程で、この場所にはこんな棚が欲しい、こういうあかり取りが欲しい、そう切実に思ったことがリアルタイムで実現できる状況があった。だからこそ、そこに意味があったんだ。それは機能というよりも住むということ、つまり生活そのものだったし、それだけ身体に即していたと思うんです。


今ではそういう状況は手に入れようもないけれど、少なくとも建築家は専門家として、人の住む場所をつくるのが職能なんですね。僕は建築家として造形的に自己満足するのではなくて、住む人の生活の場という「身体」をいじっているのと同じだと考えている。
これは極めて医療行為に近いんですが、今はそういう実感が非常に薄くなっているんじゃないかな。


それは建築をつくる方もそうだし、逆に患者さんというか(笑)住まい手の側にも、そういう意識が希薄になったから、自分の大事な故郷を喪失したような現象になっている、そんな気がするんだよね


窓が語る、住まい手の眼差し


山本氏によるアッシジのスケッチ。部屋全体の一部であり、かつ、内にいる者と表とをつなぐ窓のイメージ。

――山本さんにとって窓は、採光や換気という機能だけではないんですね。

機能を非常に広範にとらえているんです。機能というより「いろんな意味がある」というべきかな。

採光のための開口部として捉えれば窓は機能なんだけど、それ以外にも自分の位置を確かめるとか、表の風景を楽しむとか、いろんなことがあるでしょ。そのように、機能が本当は極めて多様だということがとても大事なんですね。とくに窓を考えるときに僕はそう思う。

自分の生活、もっと大げさに言うと「自分がここにある」ということとかけ離れたところで、自分の住む場所、すみかを考えていることがとても気になっている。だからこそ、かつての民家、貧しい農家が持っている空間の豊かさみたいなものに、僕は非常に着目していたんですね。

――空間の豊かさというと、何か曖昧な感じがするんですが…

そうですね。「僕はどこにいたいのか」ということかな。それが、すごくおろそかになったように感じるんです。

僕ら側から言うと、都市というか、他者から組み上げられた視点はたくさんあって多様だけど、自分自身が内側から組み上げたものはどこに行ってしまったの、ということですね。

自分を見失ってしまったから、機能に頼ってしまう。その結果として自分というもののあり方と家のあり方がバラバラになってしまった。そのバラバラになっているものをつなぐためにも、僕は窓の役割は非常に大きいと思うんですね。
つまり、僕が何を見て、僕が何を考えて、僕がどうしようとしているかっていう、住まい手の眼差しは、すべて窓が語ってくれている気がするんです。

たとえば、写真でしか見たことがないんだけれど、ヘミングウェイの書斎の窓がいいよ。本棚、タイプライターやパイプ、剥製など彼の身の回りのものが窓を中心に配置されててね。タイプライターを置いてあるテーブルは、本棚などの周囲のものとの関係で配置されている。いすに座ってタイプライターに向かい、部屋を見渡すと、全部が一体となる。
その中にある窓は全体の一部であるとともに、そこを通して表の風景とヘミングウェイとをつないでいる、そんな全体感がひしひしと感じられるんです。


そこには、自分がいる場所はこうしたい、自分と表との関係はこうありたいというはっきりとした気持ちが、心象風景としてはっきりと描き出されているんですね。住み手が自分のいる場所をつくるとき、自分が持っている心象風景こそ最も大切なんじゃないかと思うんだけどね。



窓とは闇に穿たれ、自分と表をつなぐもの

深い陰影と本格的なオーディオが印象的な山本氏自邸の書斎。風に揺れる外の緑が、高い位置に穿たれた窓を通して内部とつながる。(写真提供/山本英明)

――建築家の発想にはいろいろなアプローチの仕方がありますが、山本さんは?

空間を発想するときに、やはり窓っていうのは一番大事なところだね。
僕は最初に、真っ暗闇から空間をイメージするんです。暗がりの中からどうやって表とつながるか。それは視覚的にでもあるし、空気や風や匂いや、周囲にあるいろんなものとの皮膚感覚的なつながりでもあるんです。真っ暗がりに穴をあけて、それらとつなげていく作業が、僕が設計するときの一番重要なところだと考えている。

そして、バラバラになってしまったものをもう一度つなぎあわせるために、僕は「自分のいる場所」をつくるんです。暗闇からだんだんと、心象風景をもとに安心していられる場所を拡げていくの。
その内側では、窓はひとつの点景かもしれない。でも意識が表へ向かうときに、窓は大切な役割を果たしてくれるんです。窓は自分と外とをつなげてくれるのと同時に、そこからちょっと身を引けば、自分の世界が自分を包んで守ってくれていることがわかるから安心できるんです。

実は僕、すごく内部志向なんですよ(笑)絶えず身を寄せる影みたいなものが必要なんです。ものかげに隠れて何かをのぞいているような感じ。ひとりで暗がりに静かにまみれて、守られている方が落ち着くというか、平和な感じがとてもするんですね(笑)


――それは「住む人を保護するシェルターとしての家」という意味?


そうではなくて、いわば「舞台」なんだよね。演目は住まい手自身が作っていくの。舞台と主人公がバラバラになっちゃった今、それをつなげるのは、役者としての設計者なんです。


つまり、家を設計するとき、僕は主人公を演じる役者なんです。いろいろと打ち合わせを重ねながら、主人公、つまりクライアントのキャラクターを読み込んでいく。主人公のキャラクターを自分のものにするように、クライアントの視線や思考を自分の中に取り込んだ上でクライアントを演じる。


役者の僕は、自分の持っている専門技術を駆使して主人公の家を設計する。名優になればその人を超えられるかもしれない。そうすればクライアントが思ってもみなかった、いやイメージは持っていたけれど言葉では説明できなかった、本当に望んでいる空間が実現すると思うんだ。


――そうすると山本さんの設計する窓は、内側にいる住み手の気持ちのままに表との距離を作り出してくれる装置とも言えそうですね。でもそれは定まった形式をとることができなくて、住む人によって違うことになってしまう。


僕が設計するときには、完全にその人に近寄っていくから、一軒一軒違っていていいんですよ。だって住まい手が違うんだから。最終的な形は違っても、最初に窓を考えて最後に窓を考える、それが全てのような気がしますね。


――脈絡とか一貫性というのは、建築家にとっての自己中心的な考え方ということになるのかもしれませんね。ありがとうございました。



構成・文:中谷正人/二階幸恵

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