なんば・かずひこ( 建築家・東京大学名誉教授)
1947 年生まれ。95 年『箱の家-1』で吉岡賞・住宅建築賞・東京建築賞受賞。現在も続く箱の家シリーズは工事中のものも含め140 超に達する。サステイナブルな建築・都市デザインのトップランナーとして、個人住宅から公共・商業施設まで手がける建築は幅広い。
なかたに・まさと (建築ジャーナリスト 千葉大学客員教授)
1948年生まれ。「新建築」編集長を経てフリーの建築ジャーナリスト
僕の建築における窓の原体験は、師である池辺陽さんとやった『住宅No.94( 注1)』の窓屋根ユニット。斜めの屋根で、三角形の、屋根と窓が一体になったユニットです。
池辺さんって、基本的に壁も窓も一緒のシステムでつくるっていう考えで、僕もそれなんです。
石井和紘さんと設計した『54 の窓( 注2)』も同じ。1920mm 角鉄骨造の多様な窓ユニットを、サイズは同じだけど出っ張り引っ込みの違うものを作って、躯体にはめこんでいきました。
違うのは、『住宅No.94』は各ユニットが非常に標準化されていて、『54 の窓』はサイズは同じだけど全部バラバラというところ。
窓は「システム化されたユニットとしての開口」。標準化して、それでいかに多様な表現をつくるかということですね。
そう、基本的には機能主義です。箱をつくった中で起こるいろんなアクティビティに合わせてデザインしましょう、という。
『54 の窓』では、横のつながりはあまり考えず「ここはリビングだから窓にしよう」「ここはキッチンだから棚に」と、ひとつひとつ「機能」で決めていきました。
ともかく、多様性を表現するために、窓をすべて変えることが第一の目的でしたからね。吹抜けの高窓には機能的な違いがないから、6個の窓に合わせてサイコロを当てはめた訳です。階段の外装は、平塚という地域を表す湘南電車の緑と橙の色を塗りました。建築はジョークじゃないって怒られましたけどね(笑)
とはいえ、僕としては、標準化と多様化を極めて真面目に捉えたんです。
例えば超高層ビルの窓が、なぜ皆同じなんだ、ひとつひとつ全部、中から決めていって何種類か揃えておき、自分で選べば、超高層にも面白い表情が生まれるんじゃないかって考えた。
そうですね、僕にとって窓は、ビルディングエレメントのひとつに過ぎないんです。
光を取り入れるユニットであり、壁でもあり設備でもある「建物の標準化された部品」としての窓です。ちょっとメタボリズム(注4)っぽいところもありますね。
窓も壁も僕にとっては同じレベルの「部品」で、窓だけを単独で考えたことはないですね。その部品が10倍になれば建築になる、トレーラーハウスみたいに。それが1個になれば『箱の家』です。
部品はできるだけ単一の機能にはならないようにします。そこにいろんな機能を組み込もう、という意図があるのかな、僕には。
以前、開発を試みた構造断熱採光パネルは、壁で採光できてしかも構造体、さらに断熱性能も普通の壁と同じくらいあるものです。部品で、なおかつあらゆる機能を持っている。
光で考えると、パリに『サント・シャペル』っていう12 世紀のゴシックのちっちゃい教会があって、その窓はショッキングな体験でした。
ノートルダム大聖堂のようなゴシック建築は、構造体がすごくごついじゃないですか。でもサント・シャペルは小さいんで、構造体とステンド・グラスとの区別がほとんどつかないくらいに柱が細い。そうすると、壁面全部がステンド・グラスのように見えるんです。
でしょ、いかにもとってつけたように見えるじゃないですか。サント・シャペルはそう見えないんですよね、光の壁みたいに見える。小さいからできるわけ。
ほかに印象的だったのが『コルドバのモスク(聖マリア大聖堂/ メスキータ)』。15世紀のレコンキスタで、モスクの中にキリスト教会を差し込んでいるんです。
モスクは遥か彼方のメッカに向かって祈るための、基本的には非常に「均質」な空間。均一なアーチと光があって中心はないんですが、そこに教会を差し込むことで「中心性」がつくられています。ゴシック建築の高窓から落ちる光の先に祭壇があって、そこだけ明るい。
ヨーロッパの建築とイスラムの建築の考え方は違うんだなあって、強烈に感じました。
日本人も同じだと思います。例えば、山が好きな人と海が好きな人とがいますね。イスラムはたぶん海的。
キリスト教のゴシック建築は山や森林的ですね。
そうですね。基本的に建築家は垂直性でやるんだけど、僕はどっちかというと海系なんで、あまり中心性のない空間の方にひかれます。
そうでしょうね。「アンチ・モニュメンタル」という気分があるのかもしれません。