Builder’s Voice 工務店・ガラス店の声

自分自身がいいと思える家 それだけをつくる(前編)

安藤敏樹(あんどう・としき)
1958年生まれ。大学卒業後、不動産デベロッパーにて宅地開発・売買業務に携わる。1986年、若干27歳で(有)岩手ハウスサービスを設立。1999年度いわて優良木造住宅コンクール優秀賞、2003~2005年度いわて省エネ・新エネ住宅大賞(優秀賞・奨励賞・大賞)受賞。2007/08/09/11年度エコハウスコンテストいわて(準大賞・金賞)受賞。2006年~2010年にわたり、いわてエコ・ハウスビルダー認定。
東北の気候風土に配慮した高性能住宅の設計施工に一貫して取り組む。当初から高断熱高気密の家づくりに特化し、オール電化やヒートポンプ等の新技術を時代に先駆けて採用。現在も多くの住環境系研究会に籍を置きエコ住宅に関する研鑽を積み続け、各地の実務者向け講演・セミナー活動の招聘にも応じる。岩手住環境技術研究会・BBベストバランス研究会・NPO新木造住宅技術研究協議会・Dot.プロジェクト等、多数の研究会会員。
ざっくばらんな明るさと虚飾を排したその語り口とで周囲の信は厚い。軽妙にして信念の人である。


北海道並みの断熱住宅を岩手にも! デベロッパーからビルダーに転身

盛岡市内、岩手大学をかすめて走る国道4号線沿いに建つ本社でお話をうかがった。
大学での先攻は商学。「建築は素人」と言いながら、高断熱高気密住宅に特化し猛勉強する姿が周囲を動かし、独立当初から新築住宅の設計施工の依頼が絶えることなく、現在に至っている。

――土地デベロッパーから住宅建築への転身、そのきっかけは?

自分が土地を売ったお客さまと親しくなると、家を建ててから「結露が大変」といった話を聞くことが多かったんです。「もっと性能のいい家を造ればいいのに、どうしてそういうのがないのかな」とずっと思っていました。

僕は大学時代に北海道にいて、家がすごく暖かかった。盛岡は北海道に比べて寒くないけれど住宅の性能が良くない、じゃあ性能のいい家を自分でつくろうと考えたのです。

後発としてやるのなら、普通の建物ではなく北海道並みの住宅をつくりたいなって。
独立まぢかのとき、建材屋さんが主催する北海道の住宅を見るツアーに来ないかと声をかけられ、参加しました。そこで知り合った若い工務店の社長さんの中で「北海道並みの住宅を岩手につくろう」と考える人たちを集めて、岩手住環境技術研究会を作り、これは今も続いています。

――高性能住宅への思いは、独立当初からお持ちだったんですね。

はい。最初から高断熱高気密。何年かしてそれが根付いたところで、自然素材というコンセプトをプラスしました。
北海道ツアーで一緒だった建材屋さんが「君みたいに若い人が在来工法でこれからやるなら、既存の工務店との競争で大変だ。何かに特化した方がいいんじゃないか」と言ってくれたことも大きかったですね。

人にも恵まれました。
独立した1986年は、断熱住宅なんていってもまだ誰もわからない。そんなとき、打合せをしていたお客さまがたまたまテレビで外断熱住宅の番組を見て「せっかく家を建てるんだから、こういうので建てたい」とおっしゃったんです。
僕はその話をしたくて今日お邪魔したんです、ぜひ建てましょう! といってできたのが、最初の高性能住宅です。1987年でした。


新しいものはまずやってみる。研究成果はすべてオープンに

地盤調査・Q値測定・気密測定・ホルムアルデヒド濃度測定等、安全性や性能を保証する各種の調査測定を全棟行い、引き渡し時には施主に報告書を提出する。
事務所のエントランスを入ると、受付のほかに低いパーティションで仕切られた設計業務スペースまでが見通せる。開かれた空間に、創業社長のオープンな人柄がにじむようだ。

――最初から常に最先端の断熱技術を実践してこられました。

うん、いいと言われるものはまず勉強してやってみようと考えています。なんでも好き嫌いしないでね。基本は外断熱だけど、Q値のいいものを追いかけて行くと充塡断熱しなくちゃならない、とわかってくるような考え方です。

ヒートポンプ式給湯器を採用したときも、電気温水器が20万円以下で買える時代に1台50万円。高いけど「こんなものがこれからは必要になるんじゃないかな、使ってみようよ」と。それが今は世の中ヒートポンプでしょ(笑)そのときのお客さまには、安藤さんに頼んでよかったって喜んでもらっています。

新し物好きのところもあるけど、できるだけ省エネになるもの、そのときにちょっと高価なものであっても新しいものはまず取り入れます。
樹脂サッシもそうで、当時はまだほとんどの人が使ったことのないものでした。でもみんなが使うようになってきて、今はほんとに安くなった。

盛岡で初めて本格的なオール電化の家を建てたときも、たくさんの人たちが見学に来ました。

よく「この技術は俺のだ」なんて言う人がいるけれど、全然そうは思いません。
僕ひとりで年間1000棟建てられればいいけど、そんな能力はないですから。みんなでいいものをいっぱい使えば僕の買う分も安くなるんだし(笑)、結局いい家が建っていくでしょう。

――新しいものを取り入れるには、情報や研究が欠かせないと思います。さまざまな研究会に入っておられるのもそのため?

うん、どこもすごく勉強になりますね。
人から教えられることは、僕は全然平気なんです。そしてその分、人に対して教えることにもオープン。クローズにはしないですね。


技術力とコミュニケーション力を持った大工を自社で育てる

岩手ハウスサービスのウェブサイト。会社概要の部分には家づくりに対する考え方から具体的な断熱技術までが表現される。 ウェブサイト内の施工例紹介。すべての事例に対して断熱手法や熱損失係数、設備の内容までが記されている。
社内には大工の徒弟制度はなく、先輩大工が後輩を育てて、20代で棟梁になることもある。「僕がもともと建築を勉強していない、ある意味で素人だったからこそ、こんなやり方でうまくできたんじゃないかとも思っています」

――お施主さんは盛岡市内や周辺の方々、という感じですか。

最近は、秋田や仙台、青森など県外に住んでいて、盛岡に移住を希望する方から「ホームページを見た」と連絡をいただきます。大手のハウスメーカーを選ばない方は、やっぱり地元の工務店にというこだわりがあるのかもしれません。

それに、岩手のエコハウスコンテストなどにほぼ毎年入賞しているので、会社の名前は知らなくても「技術的な信用」になっているのでは、と思いますね。

ぼく自身は営業上がりですが、細かいところにも手が届くような仕事をしたかったので、会社を作ったときから大工は下請けではなく正社員として雇っています。

――自社に大工さんがいることも技術的信用につながっている、ということでしょうか。

今は大工が5人いますが、どの組み合わせで建てても同じレベルの家ができるんです。下請けだと、この大工さんは腕がいいから気密もいいとか、こっちはそうでもないから気密もちょっと、ということにもなる。
お客さまは同じお金を出すわけじゃないですか。なのにこっちは気密0.5でこっちは1というのは、やっぱりダメですよね。

それに、家を建てた人が「もう一度この工務店で建てたい」と思うとき、その理由って大工さんにあるんです。 たとえばお施主さんが現場に行って「こう直してほしい」と大工に言ったとき「ああいいよ」と快くやってくれたり、大工の方からお施主さんに「ここはこうした方がいいよ」とアドバイスしたり、こういうコミュニケーションができる大工さんと家を建てると、すごく満足度が高いんですよ。
そのことをサラリーマン時代のお客さまに聞いていて、だったら自分のところで大工をしっかり育てようと思っていました。

ほかにも、ちょっとした不具合を直してと言われたとき、自社の大工なら当日の仕事を少し早く切り上げて立ち寄ることもできます。
下請けではそうはいかない、もし忘れてしまえばお客さんをずっと待たせることにもなります。そういう意味で、小回りもきくんですよね。


取材日:2012年10月23日
聞き手:二階幸恵
撮影:中谷正人
有限会社 丸正屋
有限会社 岩手ハウスサービス
岩手県盛岡市
社員数 10名
業務内容/木造注文住宅の設計・施工、不動産売買および仲介

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