熊本県・I邸
世界屈指のカルデラを持つ活火山・阿蘇とその周辺は、山と草原が織りなす雄大な風景に心洗われる、美しい土地です。
二十歳でこの地を離れ、長く近畿地方で仕事をしてきたIさんが、望郷の思い止まずついに帰還を決意したのは4年前のこと。
家を守ってきたお母様との新しい暮らしに選んだ住まいは、山育ちのアウトドア派らしい〈木の香漂うログハウス〉でした。
田畑を隔てて阿蘇五岳が指呼の間という、恵まれた敷地です。
「この景色を取り込み、居ながらにして楽しめる家を」というIさんご夫妻の思いにこたえて設計・施工を担当したのは、地元産の木材『小国杉』を使った木造住宅やログハウスを数多く手がけてきた鞭馬工務店でした。
家づくりのコンセプトは『阿蘇を庭にする』。工務店代表であり、自らも大工の親方として腕を振るう鞭馬重隆さんは「風景を取り入れながら空間が広がる窓、家の形、向きまでをご提案しました」と話します。
後継者である娘の聡美さん夫婦とともに、別荘的なゆったり感がありながら収納も多く使い勝手の良い〈住宅としてのログハウス〉をめざしたのです。
山と田畑の緑に映える白とオレンジの大屋根、ツートンカラーの外壁を持つI邸。どこかかわいらしいその姿は、遠くからでもひと目でわかります。
自然塗料の山吹色で染められた1階部分は、材木を組み上げた典型的なログハウスの様相です。一方、2階は白い珪藻土を壁に塗り、柱を露出したいわゆる在来工法で仕上げられました。
玄関から入ってすぐ、目の前に広がるのは3階分が吹抜けとなったリビング。「こられた方はみんな、わあーって言いますね」笑顔で迎えてくれた奥様の言葉を待つまでもない、ダイナミックな空間です。
この広間を中心に、陽当たりのいい南西にお母様の居室、浴室などのユーティリティは北側。主寝室や収納は2階に配置し、多目的に使えるロフトもつくりました。
杉板張りの壁をはじめ、薪ストーブや手すりなどログハウスらしい雰囲気を醸し出しつつ、家族の個室や掘りごたつ、水まわりなど毎日暮らす住宅としての機能がきちんと盛り込まれています。
建替え前までご近所が立ち寄るおしゃべりの場で、玄関以上に出入りの多かった茶の間の位置にお母様の新しい寝室を置くなど、プランにも細やかな気遣いが感じられました。
和室の存在も目を引きます。「お彼岸の中日や施餓鬼(せがき)など人が集まる機会が多いので、ちょっと広めの和室を作ってほしいとお願いしたんです」と奥様が振り返ります。
一間の床の間と仏壇を備えた12畳の本格的な和室をログハウスに取り入れるのは鞭馬さんも初めての経験で「構造も含めていかに自然に組み込むかが、大きな課題でした」
どこを見ても窓! と言いたくなるほど、I邸は開口部が多い家です。そのすべてにアルゴンガス入りエコガラスが採用されました。
厳寒期はマイナス10℃以下にもなる阿蘇では「冬をいかに過ごすかが課題」と鞭馬さん。「私たちが建てるログハウスは、この窓を標準としています」
冬のみならず暑い時期には高い遮熱効果を発揮するエコガラスは、初めての夏もしっかり役目を果たしたようです。
家族総出で畑仕事にせいを出すI邸では、1階の窓は毎日のように閉め切られました。けれど、と奥様は言います。「夕方帰ってきてもそんなに暑くないんですよ。エアコンはつけなくていいな、という感じでした」
この〈つける〉は〈運転する〉という意味ではありません。竣工して半年経った今も、I邸はエアコンそのものを設置していないのです。
熊本市内より3~4℃も気温が低く、過ごしやすい阿蘇の夏を知る鞭馬さんの「クーラーをつけるのは、ここの暮らしを一年経験してからでいいのでは」とのアドバイスに従いました。引っ越しが済んだ2015年4月から今まで、窓の脇にあるエアコン用の電源は出番のない状態です。
分厚い木材で壁をつくるため断熱・遮熱力がもともと高いといわれるログハウスと、エコガラス窓の相性の良さがうかがえるようなお話でしょう。
そんなI邸の窓で、もっとも大切にされたのは〈景色〉と〈通風〉でした。
2階ホールから見る吹抜けの高窓は、阿蘇の山々を取り込むピクチャーウインドーです。ベッド脇の窓からは「寝るときは星しか見えません」。北の窓からは水の流れ、西側開口からは庭に立つ柿の木…どの窓もどの窓も、一枚の絵のように周囲の風景が額縁におさめられています。
通風面も「できることなら東西南北を風が通る方がいい。それを念頭に開口部を考えました」という鞭馬さんのイメージ通りに、風の流れができています。
2階の北向き窓や広縁のある和室の掃き出し窓からは「すごくいい風が入るんですよ」と奥様。風は南側に並ぶ開口部やキッチン脇の小窓にも流れ、家じゅうを通り抜けていきます。夜には窓を閉めないと、真夏でも「朝方は寒さを感じますね」
やがて来る冬には薪ストーブが待ち構えているI邸。エアコンの設置は、来年以降もお預けかもしれません。
材料の魅力にも触れておきましょう。
I邸をつくっている建築材料のほぼすべてが国産です。
中でも吹抜け上部の登り梁をはじめ、家を支える重要な部材は阿蘇の麓・小国エリアで育てられるブランド杉『小国(おぐに)杉』。家の中でも外でも目につく大きな磨き丸太がそれで、所有する山林から鞭馬さん自ら切り出し、最終的な加工まで行っています。
「この地区にもとから立っている木、郷土の材料を使うのがよかろうというのが、私たち大工流の考え方です」と鞭馬さん。杉以外にも和室の柱や胴差、板戸は阿蘇地域のヒノキ、階段の上り口や2階の手すりにつけた丸太は敷地内にあったヒノキを使いました。
この土地の気候風土の中で生きてきた樹々にもう一度命を与え、ともに暮らしていく。周囲の自然と一体化した住まいとは、こういうものなのかもしれません。
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金沢に生まれ、兵庫に暮らしてきた奥様いわく「ここに来て、農家の手になりました」。阿蘇に住んで半年、夫や義母に連れられて日々山菜採りや畑仕事を楽しむうち、この家に充満する木の香りも感じなくなるほど田舎暮らしになじんだ、とにっこりしました。
さらに続けて、夕方犬の散歩を終えて家路につくとき、橙色の灯がともったログハウスの姿に「ああ、あそこが私の家、と思うんです」
その言葉は、設計者が名づけたこの家の愛称『桃源郷』が本当に生まれたことを、晴れやかに告げているようでした。