長野県・N邸
長野県安曇野市は古墳時代に海の民族〈安曇氏〉が拓いたという、古い歴史を持つまち。北アルプスの麓に広がる松本盆地の一角をなし、典型的な内陸性気候の土地柄で、最低気温はマイナス15℃、最高気温は35℃を記録することもあります。
生まれも育ちも安曇野のNさんは、2011年の暮れ、ご両親の住む母屋と同じ敷地内に家族3人の新しい住まいを建てました。
土地の厳しい冬をよく知る者として第一に望んだのは「やはり冬暖かい家。当時住んでいたアパートの二重窓が結露していたので、結露しない家をという思いもありました」
家づくりの当初、モデルルームや内覧会をめぐる中で出会ったのが、地元で住宅や公共施設を設計・施工する岡江正さんです。
25年以上前から高性能住宅だけをつくり続けてきた岡江さんの「外張り断熱・基礎断熱をベースとし、熱を外に逃がさない」という考え方に感銘を受け、パートナーとして選んだといいます。
〈暖かくて結露しない〉ほか、自然素材の採用・LDKを1階に配置・和室と洗濯物干し用の部屋をつくるなどの要望を取り入れて岡江さんが設計したのは、シンプルな四角い平面と中央に大きな吹抜け空間を持つ家でした。
寒冷地で、しかも寒さに弱いといわれる吹抜けがありながら、真冬に無暖房でも室温は15℃以下にならない住まいです。その秘密はいったいどこにあるのでしょうか。
N邸は木造軸組の建物を外側から断熱材でくるむ<外張り断熱工法>に充塡断熱工法を組み合わせた高断熱高気密住宅です。床下に基礎断熱を施し、ヒートポンプのシステムでつくる温水を通して蓄熱暖房することで、床暖房と同様の効果も実現しました。
長野県のエコ住宅補助制度「ふるさと信州・環の住まい」にも適合し、助成も受けています。省エネはもちろん、CASBEE*1やバリアフリー化など複数のハードルをクリアした家です。
設計者の岡江さんは「できたときの瞬間的な性能でなく、10年20年経ったときの性能まで、メンテナンスを含めて見越してつくりました」と振り返ります。
「限られた予算の中で熱ロスを抑え、基本的な最低限のレベルと快適性を満たし、高齢になったときの介護にも対応できるプランニングを考えます。快適性とランニングコスト、さらに〈建った後にお金がかからない暮らし〉をめざすのがいいと思うんですよね」
構造材には長野県産のスギやヒノキを使い、床はナラの無垢材張り。壁はホタテ貝を原料とする天然の壁材で塗られました。「新建材を使いたくない」という住まい手の意思にこたえ、自然素材のみが選ばれています。
空間の主役であるリビングの吹抜けは、最高部で床から小屋裏までの高さ約6500mm。外張り断熱で天井を張らずにすみ、小屋裏まで室内環境にできることで実現した、開放的な空間です。
ごく最近まで〈吹抜けをつくると熱が上に持っていかれて寒くなる〉というのが家づくりの定説でした。
しかし、と岡江さんは言います。「ある程度まで家の性能のレベルが上がると、1階と2階の温度差をなくすためには大きな吹き抜けがあった方がかえっていい、となってきたんですよ」
建物の外側からしっかり断熱できることで「デザインが自由になってくるんです。天井を張ってもいいし、吹き抜けにしてもいい。空間を何に使ってもいいんです」
高気密高断熱という建築技術の進歩とそれを使いこなす設計者の手腕が、開放的なのに寒くない、自由で豊かな高性能住宅デザインを現実のものにしはじめています。朗報ではないでしょうか。
いうまでもなく、N邸の窓はすべてLow-Eガラスが採用されています。 「気密もすごくよくて、窓際にいっても冷気はきません。隣の母屋はスースーしていますが(笑)」とNさん。
南に向いたリビングダイニングの掃き出し窓は高さが2230mmあり「ダイレクトゲイン*2を考えて、一般の住宅よりちょっと背を高くしています」と岡江さん。冬は低い太陽からの日差しが射し込み、暖房負荷の軽減に一役買っています。
北向きのオープンスペースにも大きな窓をつけ、樹木ごしに北アルプスの眺望が楽しめるコーナーにしました。
「このあたりの山は北か西にしかないのですが、寒いので、たいがいの家は南を向きたがります。こういう家なら、北側に大きい窓をつくれる。一番贅沢なものが手に入るんですね」と、自身も朝、山を見ることから一日が始まるという岡江さん。
安曇野の宝を住まいに取り込もうという設計の意図が感じられます。
ここに住んでからNさんは室温に関心を持ち、あちこちに温度計をおいたりセンサー式の表面温度計で測るようになったといいます。「家全体で、寒さを感じることがないんですよ」
取材日は厳冬期の2月でしたが、室温計は1階が22℃、吹抜けの2階踊り場は25℃を示していました。床の表面温度は20℃、壁は18℃です。
床の蓄熱と高性能の薪ストーブの暖房のみで、この値。小学生の息子さんは裸足でした。
一般的に人が感じる温度は〈気温+表面温度÷2〉といわれます。N邸は1階も2階も20℃以上。寒さを感じないのがわかります。
「基本的には体感温度を下げない設計にしています。さわるところの温度を下げない、という考え方ですね」と語る岡江さんの意図通りの室内環境が実現されていました。
一方、夏の安曇野は基本的にしのぎやすいとはいえ、盆地でもあり、日中は35℃を記録することもあります。
しかしN邸では、昼間は開口部を閉め切って熱気を防ぎ、涼しくなる夕方に窓を開けて風を入れれば室温は20℃以下になるとのこと。
天井を張っていないので、住宅によくみられる屋根裏の熱だまりもありません。
「寝るときは窓を閉めないと、外の冷気が体に負担をかけるくらいです」と、同じく地元在住の岡江さんもうなずきました。熱帯夜とは無縁の暮らしなのです。
家の性能のほか、土地の気候風土に合わせた家族の<住みこなし術>も、快適で省エネな家の実現に寄与しています。
太陽光発電パネルの設置とどちらにするか最後まで迷い「結局、趣味を優先して妻を説得しました」とNさんが笑うのが、リビングに鎮座して存在感を発揮している薪ストーブです。
奥様の実家であるリンゴ農家で剪定した枝を薪としてもらうことができ、自然エネルギー利用と省エネ両方を実現。独特の雰囲気ももちろん楽しめます。
焚き始めから暖かくなるまで2時間程度かかるため、平日の朝こそエアコンなどを使いますが、帰宅後や休日はN邸の暖房のメインに。
「天気がいい休日は朝6時頃に焚き始めて9時頃には暖かくなり、その頃には窓から日射も入ってくるので、10時過ぎれば薪も足しません。それで夜まで何もいらないんです」
薪ストーブの熱と床の蓄熱、さらに窓から入ってくる太陽の恵み・日射熱を、窓や壁の断熱力が外に逃がさず室内に保っている様子が目に浮かびました。
夏を涼しく過ごすポイントは〈窓の開け方〉です。
岡江さんいわく「松本平全体が、年間を通じてほとんど北もしくは北西の風が吹きます。夏は昼と夜の温度差が激しくて、夜はけっこう涼しい北風が吹くので、ナイトパージ*3で室内に風を入れればエアコンをつける必要はないかな」
建物を囲んだ屋敷林の緑や周囲に広がる畑も、昼間の熱気を吸収してくれます。
そんな環境の下、夕方以降、北に向いた2階オープンスペースと1階和室の窓、さらに南向きのリビングダイニングの窓を開けることで家じゅうに風を通し、室内を冷やすのがN邸の流儀です。
就寝時は窓を閉めて朝方の寒さを防止。暑さが厳しい日中も家全体を閉め切って、外の熱気が室内に入り込むのを防ぎます。
このやり方で「エアコンはシーズンに2日か3日使ったくらいかな? 風がない日に」
Nさんの言葉を受け、岡江さんは「いくら安くても、たくさん電気を買っちゃったら意味がないんですね(笑)土地の気候風土に間取りなどの使い勝手も考慮してベストな組み合わせを探ることで<良い家>になるかが決まると思います」とにっこりしました。
N邸のシックな外観は安曇野市の景観条例にも合致しています。最先端の建築技術と、培われてきた暮らしの知恵を駆使し、国内屈指の山岳風景を誇るふるさとに溶け込んで、開放的かつ快適に住まう。そんな暮らし方を、白く輝く常念岳がやさしく見守っていました。